大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和51年(合わ)548号 判決

被告人 中島優介

昭一〇・一二・二生 飲食店経営

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入する。

押収してある覚せい剤三袋(昭和五一年押第二三一九号の1)及び野球用バツト一本(同号の2)を没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和二八年に非行を犯して高等学校を中退してからは、結核に罹患したこともあって殆んど就業しないで暴力団員らと交際し、昭和三二年には傷害罪で罰金刑に、次いで昭和三四年には恐喝罪等により懲役一年四月、執行猶予四年に処せられるなど非行を重ね、昭和三六年山本恵美子と知り合つて同棲を始め、同年一二月正式に婚姻し、翌昭和三七年三月には長女たか子をもうけたが、そのころ窃盗未遂罪を犯して懲役一年の実刑に処せられたため前の執行猶予も取り消され、宇都宮刑務所で併せて右各刑の執行を受け、昭和三九年六月出所してからは、長女たか子を恵美子の実家である東京都文京区本駒込所在の料亭「お竹」に預け、美恵子が「お竹」でアルバイトをしたり、被告人が麻雀屋を経営するなどして生活し、その間昭和四〇年四月には次女あゆみをもうけ、昭和五〇年三月からは同都文京区本駒込においてスナツク「フアツシヨン」を開店し、主として恵美子が店をきりもりし、肩書住居で、妻恵美子、次女あゆみとともに生活していたが、被告人は、恵美子が被告人の前記服役中に他の男性と情を通じた事実を知り、次女あゆみはその男との間にできた子ではないかとの疑念を抱くとともに、恵美子が強く否定するにもかかわらず、同女がその後も他の男性と情を通じているのではないかと不安に思うようになった。なお、被告人は昭和四八年夏ころ友人の勧めで覚せい剤を注射したのを契機として覚せい剤に親しむようになり、それが持病の腰痛や咳を緩和することもあって、昭和四九年ころからは断続的に覚せい剤を反復使用していた。

(罪となる事実)

被告人は、

第一  昭和五一年二月九日午後三時ころ、東京都文京区本駒込五丁目四九番九号平賀荘二〇三号の自宅において、妻恵美子(昭和一五年五月一七日生)が疲労気味であるところから、同女を休養させようと考え、同女に対し「俺の言うことを聞け。当分俺と一緒に寝ていろ。体をいやせ。」などと言つて、同女に着衣を脱がせ、雨戸を閉めきり、同女に寝るように命じてともに布団に入り、それから約三六時間殆んど食事らしい食事もさせずに布団の中で過ごし、昭和五一年二月一一日午前三時ころ、目覚めた際、同女がそれまであまり眠つていないように思い、更に同女を眠らせようと考え、睡眠薬を同女に渡し「この薬を飲んで寝ろ。」と言つたところ、同女がこのように長時間寝ることを強制する被告人に恐怖を感じ、寝ているうちに被告人に殺されるのではないかと考えて、薬をその場に投げ出し被告人を突き飛ばして逃げ出そうとしたため、これに激昂し、矢庭に、恵美子を同居室六畳間に敷いてあつた布団の上に押し倒し、その顔面等を瀬戸物灰皿で殴打し、更に、近くにあつた包丁で同女の顔面、腕等に切りつけるなどの暴行を加え、よつて同女に対し加療約三週間を要する顔面切創、打撲裂創、左肘部切創等の傷害を負わせ、

第二  同年六月一八日午前六時三〇分ころ、同都北区田端三丁目一六番五号ムサシハイツ三〇二号室の自宅に帰宅したところ、先に帰宅した妻恵美子が浴室の入口を開け放したまま浴室でシヤワーを浴びていたが、同女の背中に爪跡がついているように見え、また、寝室のベツドの布団が盛り上つて乱れているように感じたことから、恵美子が、被告人の不在中に他の男性と情を通じていたのではないかと疑心を抱いて不快に思い、偶々、同居室内にあつた野球用バツト(昭和五一年押第二三一九号の2)を振り回しているうち、それを床に落し、恵美子から「何をやつているのよ。」と咎められたが、その際、被告人の方を振り向いた恵美子の顔が恰も他人を見るかの如く冷たく見えたことから、同女が、やはり他の男性と浮気をしており、被告人を裏切つたものと考えて激昂し、とつさに同女を殺害しようと決意し、前記バツトを持つて浴室内に入り、シヤワーを浴びていた同女の背後からいきなり同女の頭部をバツトで数回強打し、昏倒した同女の首を両手で絞めたうえ、タオルで強く絞め、更に同女の顔面、頭部を浴槽の湯に漬けるなどの暴行を加え、よつてそのころ同所において同女を絞頸による急性窒息、頭蓋内損傷及び失血により死亡させて殺害し、

第三  いずれも法定の除外事由がないのに

一  同月八日ころ、同都文京区向が丘二丁目三四番五号ホワイトマンシヨン五〇二号嶋崎一郎方において、同人から覚せい剤である塩酸フエニルメチルアミノプロパンを含有する粉末約〇・三グラムを譲り受け、

二  同月一二日ころ、同所において、同人から覚せい剤である塩酸フエニルメチルアミノプロパンを含有する粉末約〇・五グラムを譲り受け、

三  同月一八日午前一〇時ころ、同所において、同人から覚せい剤である塩酸フエニルメチルアミノプロパンを含有する粉末約〇・五グラムを譲り受け

たものであるが、第一及び第二の各犯行当時覚せい剤を反復使用した結果、その影響により精神障害に陥り、心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(判示傷害及び殺人の各犯行時における被告人の精神状態について)

一  弁護人及び検察官の主張の要旨

弁護人は、判示傷害及び殺人の点につき、被告人の右各犯行(以下「各犯行」とは判示傷害及び殺人の犯行を指す。)は、覚せい剤の慢性中毒によつて生じた妄想に支配されてなされた行為であるから、被告人は右各犯行当時いずれも心神喪失の状態にあつたと主張し、検察官は、これに対し、被告人は、右各犯行前後ころは覚せい剤中毒により、妄想を主体とする精神障害を来たしており、被告人の本来的な性格としての爆発反応を強度にしたという点において各犯行当時の判断力等に若干の影響を与えたことはあつたにしても、各犯行は妄想に動機づけられ、或いは、妄想に支配されて行なわれたものとは考えられないから、各犯行当時、被告人が事理の是非善悪を判断し、それに従つて行動する能力を有していたことは明らかである旨主張する。

二  鑑定人の意見

(一)  東京医科歯科大学助手影山任佐作成の「中島優介精神状態鑑定書」及び第六回公判調書中の証人影山任佐の供述部分(以下これらを単に「影山鑑定」と略記する)によれば、同鑑定は、昭和五一年七月三日から同年八月二四日までの間になされたものであるが、「被告人は覚せい剤の乱用による慢性中毒により被害妄想、嫉妬妄想を主症状とする精神状態にあり、本件殺人の犯行は、これら妄想に支配され、妻恵美子を敵との密通者、国民にとつて害になる者であるとし、殺さねばならないとの使命を確信して犯行に及んだものである。」とし、また、鑑定人保崎秀夫作成の「中島優介精神鑑定書」及び第一〇回公判調書中の証人保崎秀夫の供述部分(以下これらを単に「保崎鑑定」と略記する)によれば、同鑑定は、昭和五二年六月一六日から同年一一月三〇日の間になされたものであるが、「被告人は各犯行当時覚せい剤の常用により嫉妬妄想、被害妄想を主体とする異常な精神状態にあり、各犯行はこの基盤の上に行なわれたもので、事物の善悪を判断する能力及びその判断に基いて行動する能力は欠けていた。」とし、いずれも各犯行当時(但し影山鑑定は殺人についてのみ)、被告人が心神喪失の状態にあつたことを示唆する。

(二)  これに対し、鑑定人岩佐金次郎作成の「精神鑑定書」及び証人岩佐金次郎の当公判廷における供述(以下これらを単に「岩佐鑑定」と略記する)によれば、同鑑定は昭和五三年二月一五日から同年五月二一日の間になされたものであるが、「被告人は覚せい剤の反復使用の結果被害妄想を主体とする異常体験を生じ、各犯行当時も妄想を主体とした精神障害を有していた。」としながらも「本件各犯行の直接動機は被告人の本来的な性格の異常性が介在した爆発反応であり、妄想に支配された犯行ではない。」として、心神耗弱の状態であつたことを示唆する。

三  当裁判所の判断

(一)  前掲各証拠のほか第六回ないし第九回及び第一一回各公判調書中の被告人の供述部分、被告人の司法警察員に対する昭和五一年六月二六日付、同月二九日付及び同年一〇月六日付各供述調書、第五回公判調書中の証人金子洋一、同伊藤順子及び同青木美弥子の各供述部分、第六回公判調書中の証人中島芳子及び同中島淳子の各供述部分、第七回公判調書中の証人橋本和江の供述部分、中島淳子の検察官に対する各供述調書並びに橋本和江の司法警察員に対する各供述調書(一通は謄本)によれば、判示のとおり、被告人は、昭和四八年夏ころ、友人に勧められたのが契機となって覚せい剤に親しむようになり、それが持病の腰痛や咳を緩和する作用のあつたことから次第に反復使用し始め、昭和四九年一月ころからは毎日のように常用し、多いときには日に二、三回使用するほどであり、一時覚せい剤の害悪を自覚しその使用を止めていたこともあつたが、昭和五〇年ころからは、途中の数ヶ月を除き再び覚せい剤を反復使用していたこと、被告人は覚せい剤の使用当初既に目の前に蛆虫が出てくるような体験をしたのを始め、覚せい剤使用の頻度が高くなるにつれて、「CIA、FBIが見張つている。」「家の中に隠しマイクが取り付けてある。」「あとをつけられている。」「朝鮮人が狙つている。」などと言つて、怯えるようになり、昭和五〇年二月ころからは、交際している女性の腕時計に盗聴器が仕掛けられていると言つてそれを室外に持ち出したり、歩行中見張られていると言つて突然駐車中の自動車の下へ隠れたり、あるいは、タクシーに乗ると運転手の正体を確認するため身分証明書を見せるよう要求したり、更には、「向いの建物から狙われている。」「隣りの部屋の者が怪しい。」などと口走つたり、被告人の姉の中島淳子方を訪ねた際には、同女の息子の足のギブスに盗聴器が仕掛けられているかどうか試すと言つて、同人が痛がるのも構わずギブスを持ち上げて「本日は晴天なり」と言うなどの異常な言動をみせるに至つたことが認められるところ、このような状態は、覚せい剤の反復使用に伴つて起つており、それが覚せい剤の常用による妄想ないしはそれに由来するものであることは前記各鑑定の等しく認めるところであつて、被告人に被害妄想を主体とする異常体験が生じていたことは疑いを容れないところである。そして、前記各鑑定及び被告人の当公判廷における供述(第七回、第九回各公判調書中の同記載、第一一回公判の供述)によれば、被告人の右異常体験は遷延化し、少なくとも前記保崎鑑定の際には、末だ出現し、前記岩佐鑑定の段階に至り、漸く消失するに至つたことが認められる。

(二)  更に、右証拠によれば、被告人は、恵美子が被告人の服役不在中に他の男性と情を通じていたことを知り、かねてより、恵美子の異性関係を気にするとともに、恵美子の次女あゆみを懐妊した時期が被告人の刑務所を出所した時期と相前後していたことから、あゆみが自分の子かどうかに疑いを抱いていたが、昭和五〇年に入つてからは、それが次第に高じ、ことある毎に恵美子や親しい者に、あゆみが自分の子かどうかを尋ねたり、恵美子が料理を作らないとか被告人に反抗するというような同女に対する不満も加わつて、同女には現在もなお懇な男性がいるのではないかと同女に疑いの目を向け、ある時は居室内に落ちていた陰毛が恵美子の浮気相手のものではないかと疑つて、その証拠をつかむために自己及び恵美子の陰毛を剃り落したり、ある時は、前記妄想も重なつて、恵美子は敵の廻し者で、自分を狙つているのではないかとの疑心に捉われたりすることもあり、また、本件殺人の犯行数日前には、前記料亭「お竹」に預けていた長女たか子を引き取るかどうかで恵美子と口論した挙句、判示野球用バツトを同女に対して振り上げたため、その場に居合わせた姉淳子が、被告人の形相などから異常を感じ、このまま放置しておけば、恵美子を殺傷するに至るのではないかと危惧し、右犯行の前日まで同女を右淳子方に避難させていたことが認められ、これらの事実の中には、被告人が異常であつたことを推測させるものがあり、執拗、残忍な本件殺人の手段、方法や長時間ろくに食事もさせずに恵美子を寝せながら、更に寝せようとした本件傷害の発端などにも常軌を逸した面が窺われないではない。

(三)  しかしながら、右証拠によれば、被告人に前記妄想が出現するようになってからも、その日常生活には特段の変化がなく、通常は、むしろ、夫婦仲がよく、妻子に対し、いたわりや思いやりを示し、友人、知己らとも従前と変りなく交際し、また、意識も概ね清明であり、時には、覚せい剤の薬害に思いを致し、その使用を中止したりしていることも認められるのであつて、右妄想ないしは異常体験が被告人の日常生活に常時影響を与えていたものとは認められない。

(四)  そこで、進んで本件各犯行当時の精神状態について検討することとする。

(1) 本件傷害について

この点につき、被告人は、捜査、公判を通じ、「恵美子が疲れて痩せているようだつたので休養させようと思い、恵美子と二人で就寝し、約三六時間後の翌々日の午前三時ころ、目覚めたが、まだ恵美子に疲れが残つているように見えたので、睡眠薬を与えて『寝ろ。』といつたところ、反抗したため、近くにあつた包丁で掛布団を叩くなどして恵美子を寝せ、ヤクルトを飲んでいたら、恵美子が右包丁を持つて大声をあげて向つて来たので、びつくりするとともに、恵美子のことを思つているのに、わかつてくれないと腹が立ち、夢中で恵美子を押し倒してもみ合い、近くにあつた灰皿で殴つた。」旨ほぼ一貫して供述するところ、被害者恵美子も、「被告人に向つて行つた際、包丁を手にしていなかつた。」と供述するほかは、当時の状況につき被告人の右供述に符合する供述(中島恵美子の検察官及び司法警察員に対する各供述調書)をしており、その供述によれば、本件犯行は、恵美子が、被告人から三六時間余も寝せられたうえ、更に寝ることを強制されたため、眠つている間に被告人から危害を加えられるのではないかと考えて畏怖し、逃げようとして被告人を突き飛ばしたのに対し、反射的になされたものであることが明らかであつて、被告人の「びつくりするとともに腹が立ち、夢中で本件犯行に及んだ。」という右供述は、その場の状況に照らし、十分首肯しうるところである。そして、前掲各証拠によれば、本件犯行直後、被告人は、恵美子の傷を見て自己の非を悟り、同女を抱いて謝罪し、電話で母芳子を呼び寄せたうえ、恵美子を病院に運び、そこでの診療が叶わぬと見るや救急車を呼ぶなどの措置を講ずるなど適切な対応をとつていることが認められ、また、前記各鑑定によると、被告人は、情緒が不安定で、爆発性が強く、自己中心的な異常性格者であることも認められるのであつて、以上の諸点を考え併せると、本件犯行は、恵美子が突如、被告人を突き飛ばして逃げ出そうとしたことに触発されて、驚きと立腹から激昂し、その爆発的な異常性格に基く爆発反応としてなされた犯行と認めるのが相当である。もつとも、前記のとおり、被告人が、恵美子にろくに食事もさせないで三六時間余も一室に閉じ込めて寝せたうえ、刃物まで持ち出して寝ることを強制したりしている点に異常なものを感じさせないではないが、思考に飛躍があるにしても妻に対するいたわりの心情の現れとして全く了解できないことではなく、当時妄想の出現を見なかつたことは、被告人が捜査、公判を通じて認めているところであつて、妄想を主体とする異常体験が本件犯行の動機となつているものとは認められない。

(2) 本件殺人について

(イ) 被告人の検察官に対する昭和五一年一一月一六日付及び同月一七日付並びに司法警察員に対する同年六月二五日付、同年七月三日付、同年九月二七日付、同年一〇月一四日付、同月一六日付及び同月一七日付各供述調書、飯田明、中島芳子、中島淳子(同年六月二五日付)の検察官に対する各供述調書、小堀ハツイ、狩野秋範及び鈴木繁の司法警察員に対する各供述調書等によれば、被告人は、本件犯行前日に、数日前から姉淳子方に泊つていた恵美子を迎えに行き、二人で買物をするなどして仲良く帰宅したうえ、早めに就寝し、本件犯行当日は午前二時三〇分ころ目覚めて同女と食事に出かけ、その帰途知人から依頼された用件を果すため旧知の狩野秋範方を訪ね、恵美子を先に帰して、右狩野らと用談したが、同人らは、被告人の言動に何等の異常を感じなかつたこと、その後、被告人は、まだ眠つている次女あゆみを起しては可哀想であると考え、一時帰宅を見合わせ、友人の事務所を訪ねるなどして、同日午前六時三〇分ころ帰宅し、間もなく、本件犯行に及んだこと、また、被告人は、本件犯行直後、自己の行為の残虐さに思い至り、恵美子の体を浴室床に横たえ、同女の手を胸の上に組ませ、体にはタオルを、顔面にはジヤンパーをかけ、自らも合掌して念仏を唱え、血と水で汚れた衣服を着換えたうえ、前記料亭「お竹」の女将小堀ハツイを電話で呼び出して次女あゆみを託すとともに、腕時計を外して長女たか子に渡すよう依頼し、その後自首の相談をするため旧知の弁護士や知人方を訪ねたが、そのことを言い出せぬまま辞去し、姉淳子に「とんでもないことをしちやつた。皆を集めてくれ。」などと電話をかけたうえ、同女方で、同女や母芳子らに対し恵美子を殺害したことを告白したことが認められるところ、これら被告人の本件犯行前後の一連の行動には、前後の脈絡に乱れがなく、十分了解可能であるばかりでなく、むしろ常人と変らぬ配慮が窺われ、異常とすべき点は見受けられない。

(ロ) ところが、被告人は、本件犯行の動機につき、影山鑑定の問診の際には「バツトを見て、恵美子が国の敵であり、バツトで殺せと命令されたと感じて夢中でバツトで殴つた。」と述べ、また、第七回公判では「国のためだと思つて殺した。」と述べ、あたかも本件犯行が妄想に支配されてなされたものであるかの如き供述をしているので検討するに、被告人のこの点に関する供述は転々としており、捜査段階では、(a)「何気なくバツトを持つて素振りしているうちに、バツトで殴り殺してやろうという気になつた。」(被告人の司法警察員に対する昭和五一年六月一九日付供述調書、以下「六・一九、員」の如く略記する。なお、「検」とは検察官に対する供述調書を示す。)とか(b)「浮気をしたと疑心をもつたのではなく、次女の出生について一〇年来疑惑をもつていたことによる。」(「六・二〇、検」)とか(c)「この事件は衝動的なやきもちで起したものではなく、一五年前からのあらゆる矛盾から来たものである。」(「六・二六、員」)とか、あるいは(d)「薬のせいではなく、今までの女房の矛盾な行動と他人に女房が迷惑をかけると思つたから。」(「六・二九、員」)とか、更には(e)「ベツドの布団が盛り上つて乱れており、また浴室でシヤワーを使つている恵美子の背中に爪跡がついているように見えたので、浮気をしたのではないかと嫌な気がしたが、これを打ち消し、バツトで素振をするうち、バツトを落したところ、恵美子が『何をやつているのよ。』といいながら冷い他人のような顔をして振向いたのを見て、『今も浮気をしている。』『だまされた。』と感じ、犯行に及んだ。」(「九・二七、員」、「一一・一五、検」、「一一・二四、検」、「一一・二六、検」、「一一・二七、検」。なお、「一〇・一六、員」は、「バツトを落した際、恵美子は振り向かず、『よしてよ。気狂い。』といつたので怒りが一時に頭に来た。」という。)などと供述し、第九回公判においては、「本件犯行の動作は現在も覚えているが、頭で考えたことや、その時の気持は思い出せない。」と供述している。しかしながら、被告人は、「恵美子の背中に爪跡がついているように見え、布団が盛り上つて乱れていた」ことは、捜査段階では当初から一貫して認め、特に「背中に爪跡があつた」との点については第九回公判においても「今もなお覚えている。」と供述しており、これらの認識が、当時被告人にとつて極めて印象的であつたことが窺われるのであつて、それが、本件犯行と無関係であつたとは考えられず、本件犯行後、被告人が姉淳子方で本件犯行を告白する際に記載したと認められるメモ(昭和五一年押第二三一九号の5)に、「私の母と恵美子の母とのいざこざ、女房の不貞、事の起りは其処から始まつたのです。」「私は、自分の愛する本当の妻が裏切るなんて、人の事では考えられても」云々と、恵美子の不貞を指摘する記載があることや、前記のとおり、被告人が日頃から恵美子に懇な男性がいるのではないかと気に病んでいたこと、更には、前記認定の被告人の性格や本件犯行前後の理性的な行動等を併せ考えると、右(e)の供述が最も真相に近いものと認められ、判示のとおり、恵美子の対応などから同女が浮気したものと考えて激昂し、本件犯行に及んだものと認めるのが相当である。なお、前記影山鑑定、あるいは第九回公判における妄想に支配されたかの如き被告人の供述は、岩佐鑑定の指摘するとおり本件犯行当時の直接動機をそのまま述べたものではなく、その各供述時における妄想を主体とする異常体験を混入し、その時々の判断ないしは考えをあたかも本件犯行当時の直接動機そのものの如く供述したものと認められ、到底措信することができない。また、被告人が、本件犯行に際し、恵美子が浮気をしたと考えるについては、前記のとおり理由のないことではないし、布団が乱れていたり、バツトを落した際恵美子がこれを見咎めて冷い応待に出たりすることは十分あり得ることであつて、これを嫉妬妄想と断ずるには、いささか躊躇を感ずるのであるが、仮りにこれが嫉妬妄想であつたとしても、前記のとおり、被告人は本件犯行直後から悔悟しているのであつて、このことは右妄想が本件犯行の直接動機とならなかつたことを示すものと考えられるのであり、また、妄想という病的体験に対する対応は、その主体の個性と規範意識によつて異り、嫉妬妄想を抱いた人間が、すべて殺害行為に走るということはなく、本件の如く極めて残忍な殺害行為に及ぶについては、被告人の異常性格に負うところが大であつたと認められるのであつて、本件の直接動機は、岩佐鑑定が指摘するように、結局は、恵美子の対応に触発された被告人の異常性格に基く爆発反応であり、妄想を主体とする異常体験ではないものと解せられる。

(五)  ところで、覚せい剤中毒による精神障害は、人格が破壊し、病的体験が全人格を支配するとされる精神分裂病などとは異り、妄想というような病的体験は人格全体を支配せず、病的体験の関与には濃淡、強弱があつて、病的体験を有しながら知情意の面にはなお健康な部分が残存し、疏通性を保持したり、通常の生活活動をするなど生活能力の点では殆んど正常である場合も少なくないとされているのであるが、既に見て来たとおり、被告人の場合は、妄想を主体とする異常体験に捉われることもあつたが、通常は、生活能力に格別の低下はなく、意識も概ね清明であり、覚せい剤使用の違法性や薬害も認識して、その中止を考慮しており、通常における異常体験の関与は必ずしも強くはなかつたと認められる。

そして、本件傷害については、妄想等の異常体験の関与が薄く、これに支配されてなされた犯行とは到底認められず、また、本件殺人については、本件傷害の場合に比し、妄想等の異常体験の関与が強かつたとはいえ、それが直接動機とはなつていないと認められるうえ、被告人の本件犯行当時の記憶はかなり詳細、正確であつて意識の清明であつたことが認められるし、犯行前後の被告人の理に適つた言動に照らせば、被告人がある程度の規範意識を保持していたことも認められるから、本件殺人もまた、妄想等に全人格を支配されてなされた犯行とは認められず、被告人は、本件各犯行当時、是非善悪を弁識する能力及びこれに従つて行動する能力を末だ欠くには至つていなかつたものと認められる。

しかしながら、被告人の爆発的で情緒不安定な性格は、覚せい剤の常用によりかなり尖鋭化し、精神の荒廃もある程度進行していたことは証拠上否定し難く、しかもその尖鋭化した爆発的性格が本件各犯行において重要な役割を果していることも明らかであつて、本件各犯行当時、被告人は是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力を著しく減弱した状態にあつたと認められる。従つて、弁護人の主張は、この限度で理由があると認め、心神耗弱を認定した。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の所為は刑法一九九条に、判示第三の一ないし三の所為はいずれも覚せい剤取締法四一条の二第一項二号、一七条三項にそれぞれ該当するので、判示第一の罪については懲役刑を、判示第二の罪については有期懲役刑を各選択し、判示第一及び第二の罪は心神耗弱者の行為であるからいずれも刑法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により刑期及び犯情の最も重いと認める判示第三の三の罪の刑に法定の加重をした刑期(但し短期は判示第二の罪の刑のそれによる)の範囲内で被告人を懲役六年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入し、押収してある覚せい剤三袋(昭和五一年押第二三一九号の1)は判示第三の罪に係る覚せい剤で被告人が所有するものであるから覚せい剤取締法四一条の六本文により、押収してある野球用バツト一本(同号の2)は判示第二の犯罪行為の用に供した物で被告人以外の者に属しないから刑法一九条一項二号、二項本文によりいずれも没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 小野幹雄 平良木登規男 川合昌幸)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例